名前だけがハンコじゃない。
戦国時代は動物ハンコがブームだった!
全国印章業経営者協会(略称:JS会/代表幹事:松島寛直)は、2018年を振りかえって、今年一番印象の深かった出来事を絵柄にし、35㎜角という方寸の世界に彫刻したハンコ『歳の印』を製作しました。 『歳の印』は、全国印章業経営者協会が創立40周年を期に、日本の文化である「ハンコ」を社会の皆様にもっと知ってほしい、楽しんで使ってもらいたいという思いから、その年々の世相を毎年ハンコで表現するというものです。
年末が近づくと、「1年の世相を表す○○」、という様々な取り組みがおこなわれますが、 『歳の印』は文字ではなく、風景や人物などの絵柄で世相を表します。しかも、それを日本の文化である印章(ハンコ)として、一流のハンコ職人が風格を与えた表現で作り上げます。これを毎年製作し、世の中の皆さんに発表することで、『歳の印』がその年のシンボルマークのように記憶されることを願っています。数年後にこの印影(ハンコを捺したもの)を振り返ったとき、「そうそう、これって2018年だったよね」「あの歳の絵柄はコレだったよね」と話題にして頂けるようになれば幸いです。
現代でこそ、ハンコは名前や社名、つまり「文字」を彫ることに限定されているように思われていますが、そうではありません。江戸時代までは、動物の絵柄や紋章、飾り枠などの装飾を施した自由なハンコが世の中にたくさんありました。例えば、日本に印章の使用を広めたとされる織田信長のハンコには「織田信長」という名前は彫られていません。そこには、龍の絵柄と共に、彼が掲げた政策である「天下布武」という言葉が彫られています。同じく戦国武将の武田信玄は円の中に龍を配しただけのハンコを用いました。信玄のライバルと呼ばれた上杉謙信は、獅子の絵と神仏の加護にちなんだ「地帝妙」という字を組み合わせたハンコです。
このように、戦国武将をはじめ昔の権力者や文人などは、絵柄や吉語、座右の銘、呪文などを彫ったハンコを使っていたのです。彼らにとっては、それがシンボルマークであり、アイデンティティの表現だったのでしょう。周囲も、そのハンコの図柄を見て、それを捺したのが誰かさえ分かれば名前である必要はなかったのです。
その後、明治4年(1871)に明治政府が現在の印鑑登録制度の根拠となる「太政官布告」を発布し、一般市民にまで広く印鑑制度が広まり、昭和時代に入って大企業でのビジネスユースが増えるに従って、その機能や合理性から、「ハンコは自分の名前を彫るもの」という常識が定着したものと考えられています。
イラストをハンコにする「密刻」という神ワザ
つまり、絵柄や好きな言葉などを彫ったハンコを使うことはタブーではないのです。ハンコを捺した書類を渡す相手との関係性さえ許せば、ユニークなハンコを使っても構いません。例えば、町内の回覧板、デザイン事務所の社内文書、大学の生徒会の通信文書などはもっと遊び心のあるハンコを使ってみてはどうでしょう?
実際に、くまモンなどの「ゆるキャラ」やアニメの美少女キャラクター、愛車のイラストなどを彫ったユニークなハンコが近年発売されています。
そういった遊び心や自分の趣味嗜好を反映したハンコを作って、楽しんで欲しい、そのために「名前以外を彫ってはならない」という固定概念を破りたい、という思いで私達は 『歳の印』を製作しました。
もちろん、「歳の印」を作ったのは日本を代表する一流のハンコ職人ですから、これほど高いレベルの技術で作られたハンコを一般に使用することはありません。この彫刻技術はハンコ職人の中でも熟練を積んだ達人でなければ彫ることができない「密刻」という神業の技術で彫られています。
ただし、ちょっとしたイラストやアイコニックなマークをハンコに彫ることは、街のハンコ屋さんならお手の物です。ちなみに「歳の印」のようなミクロレベルの彫刻が施されたハンコは、素人では捺すこともままならない代物です。
2018年の歳の印は、12月11日(火)渋谷・ヨシモト∞ホールにて開催する「捺印式」のイベントで発表します。平成最後の年のシンボルとしてハンコに彫られたのがどのような出来事か、皆さんも想像して下さいね。と同時に、それをミクロレベルで彫り上げるハンコ職人の驚くべき技能にもご注目下さい!